選択できる権利がある素晴らしさ

『選択できる』
それがどんなに素晴らしいことか。

周りからは物事がよく見える。
そっちの道は危ないよ、とか
そこはあなたには合わないよ、とか。

見えなくなっているのは本人だけで
案外周りは見えている。

そこで親切にも、苦労はさせまいと
良い道を指し示すのだけれど

そこがどんなに良い道でも
本人が納得し、
本人が行きたいと願った道ではなかったなら

あなたが言ったから行ったのに
私はあっちが良かったのに、と

何かがあった際
誰かのせいにしがちだ。

ギリギリになったところで踏ん張れるかどうか。
それは、自分で選択したのかどうか
だと思う。


私の両親は
進学する時も、
就職する時も、
結婚する時も

こうしなさい、とは言わなかった。
両親の希望は言ってくれたが、私を説き伏せることはなく
お前の人生だから、お前が決めなさい。と見守ってくれた。

いつも、両親が希望する道とは違う方向に行っていたから苦労は多かったけど
どんな場面を切り取っても、
その選択をした後悔などは、
微塵もないのが私の人生で。

しかし、
子どもに選択する権利を完全に与えてくれる事は当たり前ではないという事を親になった今知り

その事の貴重さに
両親や、周囲の大人達の愛を知ったし、とても尊敬をしている。

我が子にだけではなく
日常の場面場面で、
親切心から、つい人に道を指し示したくなる。

けれど、一見険しく見える道も
本人が歩みたいと望むなら
必要な道なのだろう。


そういえば
全ての人は
自分で 産まれる と決めたのだったな。

忘れてしまいがちだけれど
選択する権利が私達にはあるから
その素晴らしい選択を日々楽しんでいきたい。



横山まい

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